別名死人花、地獄花などなど、お墓にたくさんあるからか、そんな名も付けられている
彼岸花。ひどいですよね。

今でこそ、各地の群生地は花の時期にはたくさんの人が訪れる人気のスポットになっていますが、自分が子供のころ(50年くらい前)には、毛嫌いする人が多かった花です。
不気味だとか縁起が悪いだとか、毒があるから触るなとか、悪評高い花でした。小学校低学年のころ、近所の同級生の家で、お手洗いに彼岸花が一輪いけてあったのを今でもはっきりと覚えています。古い民家のほの暗いトイレの窓際に飾られた姿はとても綺麗でした。彼岸花は悪いものという固定観念を植え付けられていた子供だったので、ちょっと衝撃的でした。飾ってもいいんだ、悪い事ではないんだって思いました。その同級生の家は、あまり近所からは良くは言われておらず、変わり者扱いをされている家でした。ちょっとした森の中のような庭の中に建つ、小さな平屋で、四季折々いろんな花が咲いていました。同級生の父親は植物も虫も好きな人で、秋には毎年鈴虫や、やかましいほどのクツワムシの声が聞こえてくる、そんな家でした。
昔の田舎の人にとっては、大人が虫を飼育して喜んでいるような姿は、変わり者だったんでしょうね。僕は好きでしたけど。
そんな家庭なので、人がどう思うと、自分がきれいだと思うもの、いいと思うものは、傍に置いて、大切にして楽しんでいたのだと思います。
小さなことですが、ぼーっと生きていた男の子が、彼岸花をいけてあるのを見た事件は、結構のちの人生に大きな影響を与えたのではないかと思います。
彼岸花を素直に美しいと思えるようになったし、祖母や母にそんな「貧乏草」摘んでくるなと言われても、自分ではきれいだと思う気持ちは曲げなかったし。(僕の田舎では、ハルジオンのことを貧乏草といって忌み嫌ってました)こと植物に関しては、自分の感性は人に何と言われようと曲げないようになりました。
菊やケイトウも仏花というレッテルが貼られ、長年普通のギフトには使いにくい存在でした。今ではケイトウも菊も普通にプレゼント用の花束などにも使われるようになりました。
20年ほど前には、こちらから綺麗な色のケイトウとバラや実物など、秋らしい組み合わせで花束やアレンジメントの花材を提案しても、ケイトウはぬいてくださいと言われることが本当に多かったです。気持ち悪いとか仏様の花だからという理由で。
今はケイトウはちょっとおしゃれな花という扱いにもなってきました。時代の流れという事なんでしょうか。

どんな植物にも、その植物らしい美しさを持っています。言い伝えや習慣や人の言う事に惑わされて、その美しさを見失わないでほしいです。自分が綺麗だと思ったその感覚を信じてほしいです。
フラワーデザインの作品展にドクダミの花を使った作品を出品した男性が、他の出品者や講師の先生に笑われて、次回からは使わないでねと言われたことがあるという話を聞いたことがあります。すごく嫌な思いをしたと言っていました。
その男性は、他のフラワーデザインの学校で、ドクダミが普通に使われているのを知って、自分の感性が間違っていないことを認識できたそうです。
個性を尊重しない、同じ価値観の中で凝り固まっているような集団の中では、本当に美しいものなど見つけられないと思います。他人の意見に耳を傾けつつ、自分の感覚を信じて養っていくような人の中にいることが大切だと思います。自分はそういう人の中で若いころに仕事ができたので、今の自分があると思っています。

彼岸花好きですか?
秋のほんのひと時、怪しげな真っ赤な姿を見せてくれる彼岸花、お墓に咲いていようが
毒があろうが、僕は大好きです。